ABOUT THE PRODUCTION (プロダクションについて)
1991年12月20日(日本公開:1992年3月21日)、ワーナー・ブラザースは、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺を扱ったオリヴァー・ストーン監督の映画『JFK』(1991)を公開した。アメリカで最も影響力を持った政治家の一人、ジョン・F・ケネディ大統領の衝撃的な殺害、それにまつわる無数の論争や隠蔽工作について、ケビン・コスナー扮するルイジアナ州地方検事ジム・ギャリソンの視点から描いた作品である。同作品は、アカデミー賞の8部門にノミネートされ、2部門での受賞に輝いたオリヴァー・ストーン監督のキャリアで最も興行的成功を収めた映画の一本である。
1963年11月22日、ケネディ大統領がオープンカーでダラス市内をパレード中に射殺された後、ウォーレン委員会は、ケネディの殺害はリー・ハーヴェイ・オズワルドによる単独の犯行だと結論づけた。そして、オズワルドは拘束されたわずか2日後にナイトクラブのオーナーであるジャック・ルビーによって射殺され、事態はさらに泥沼化した。長年に渡って、オリヴァー・ストーンの他、多くの人がケネディ暗殺の背後には、一人の男の存在だけでは片付けられない大きな力が潜んでいることを確信していた。
「全世界が見守る中の白昼に堂々とアメリカ大統領を殺害するなんて、一人の男が持つ力以上の大きな存在が働いているはずだ、と多くの人々がすぐに感じ取りました。CIAによる”秘密工作”の戦略が示すように、裏舞台から実行に至るまでのすべてが説得力のある反証を持って巧妙に演出・隠蔽されています。事件以後、変貌を遂げたアメリカは、諜報機関と軍が、政府の国家安全保障や戦略といった巨費が絡む案件の舵取りを水面化で握ることになり、それ以来その方向性を変えることができた大統領は一人もいませんでした。どの大統領も、アメリカの軍国主義に大きな変化を及ぼすには限界があったのです」とストーンは語った。
Photo: John F. Kennedy Presidential Library
大統領が殺害される2年前、ケネディ大統領はキューバの指導者フィデル・カストロ政権転覆を狙い、前任のアイゼンハワー大統領が計画したピッグス湾侵攻作戦を許可して大失敗している。そしてその1年後、キューバ危機が発生し、アメリカ、キューバ、ソ連間の緊張はさらに高まった。
ケネディ大統領は、ソ連との冷戦が核戦争に発展しないよう、フルシチョフ大統領と慎重に外交を展開した。同じように、ケネディはベトナムから1万5千人の軍事顧問(※外国に派遣され、派遣先の軍隊の組織編成や訓練、戦闘指揮などに協力する軍事専門家)を撤退させた。さらに、凶弾に倒れる前月には国家安全保障行動計画263号を発行し、1963年末までにベトナムから1,000人の軍事顧問を引き揚げ、激化する東南アジアの戦争から利益を享受しようとする者たちに損失をもたらした。
「私は、この国の状況を少しずつ変えようとしていた若き大統領に対するクーデターだったと捉えています」とストーンは語る。
「ケネディは、第二次世界大戦の戦闘を経験した若者であり、新鮮な感覚で物事を捉えていました。アイゼンハワー大統領のようには考えず、また、彼以外の大統領たちがそうしてきたように、軍にへつらうこともしませんでした。だから彼は当選したのです。彼は人々に好まれ、人気がありました。そして(次の大統領選のある)1964年に当選し、おそらくまたルーズベルトのように大統領の座を確保して、1968年と72年には弟のロバートが彼に続くことになったでしょう。ケネディは実に多くのことをこなしましたが、それ以上のことはできませんでした。彼はキューバとのデタント(※緊張緩和)を模索し、ロシアと協力して最初の核実験禁止条約に調印しました。彼はNSAM263(※国家安全保障行動覚書263号)で、ベトナムから撤退するための最初の重要な段階を踏んでいました。ケネディによるベトナム、キューバ、南米、インドネシア、アフリカの反植民地政策は、事件の隠蔽に大きな影響を及ぼしたリンドン・ジョンソン(※事件当時は副大統領だったが暗殺により大統領に就任)によって直ちに覆されることになりました」
Photo: Camelot Productions, Inc.
オリヴァー・ストーン監督が『JFK』を公開して以来、ケネディ大統領の死を巡って多くの新しい証拠が公開された。1992年には、米国議会がジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法を可決。この法律は、すべての暗殺関連資料をアメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration ※以後略⇒NARA)に収容することを義務づけるものである。また、FBI、CIA、ウォーレン委員会や下院暗殺特別委員会から公開された数百万ページの旧機密記録を監督する独立機関として、暗殺記録再評価委員会(Assassination Records Review Board ※以後略⇒ARRB)が設立された。
1990年代から2000年代初頭にかけて、JFK暗殺事件の研究者たちによる民間のコミュニティが、事件の新展開について調査し、オンラインや年次会議で結果を共有した。オリヴァー・ストーン自身も何度か足を運び、写真専門家のロバート・グローデン、歴史研究家のジョン・M・ニューマン、法科学病理学者のシリル・ウェクト博士など、映画『JFK』でアドバイザーを務めた人々と連絡を取り続けた。また、ケネディ研究家のメアリー・フェレルや作家のジェームズ・W・ダグラスなどの関係者とも仕事をしている。
「JFK研究者の多くは、人生の数十年間をかけて真相究明に取り組んでいます」とストーンは語っている。
JFKの死後50周年となった2013年、従順で順応主義的なメディアによって、ケネディの死は神聖化されてしまった。記念日特集を組んだネットワークニュースが、ウォーレン委員会の誤った調査結果を繰り返し伝えることにより、事件の新情報が無視され、真相はメモリーホール(※不都合な情報を消し去る穴)に追いやられてしまった。それについてオリヴァー・ストーンは不満を募らせていた。
「JFK記録法もARRB(暗殺記録再評価委員会)もなかったかのように扱われてしまいました」とストーンは振り返る。
JFK暗殺50周年に、ストーンと彼の長年のドキュメンタリー・プロデューサーであるロブ・ウィルソンは、法科学病理学者のウェクト博士が毎年開催するJFK暗殺研究会議に参加し、当時調査を担当したマーク・レイン弁護士と再会。さらに、作家のジョザイア・トンプソン、ジョーン・メレン、ゲイリー・アギュラー博士のほか、本作の脚本を担当したジェームズ・ディユジニオのほか数名と面会する機会を得た。
ディユジニオは「ロブ(・ウィルソン)と私は50周年の会議で話をしました。その後、私の出版社は、私の著書(「JFK Assassination: The Evidence Today」)のためにオリヴァーに紹介文を書いてもらえないかと依頼しました。これをきっかけにオリヴァーと私は、ARRB(暗殺記録再評価委員会)から発表された新たな証拠について議論を交わし始めたのです」と語る。
「1994年当時、わずかな前進になったとはいえ、私にはARRB(暗殺記録再評価委員会)が真相を解明できる教授の集まりだとは思えませんでした。映画の公開を受けた世間からの圧力を和らげる目的で議会が設置した学術的な委員会に過ぎなかったのです。彼らは機密指定を解除する権限しか持っておらず、調査する権限は持っていませんでした。確かにそれに異を唱えた議員も数名いましたが、アメリカの調査委員会は、下っ端に責任をなすりつける以外に、具体的な成果を出したことはほとんどありません」 とストーンは語っている。
暗殺から54年後の2017年10月、ドナルド・トランプ大統領は、残されているJFKのファイルをすべて機密解除する予定を発表したが、再び直前の数時間前に”国家安全保障”を理由に撤回し、情報機関からの圧力によるファイルの一部しか公開しなかった。
この後、50周年時の互いのフラストレーションを糧に、ロブ・ウィルソンはオリヴァー・ストーンに、今度はJFK事件についてのドキュメンタリー作品を再び制作するアイデアを持ちかけた。
「ロブ・ウィルソンがいなかったら、私はこの作品制作を進めることはなかったでしょう」とストーンは振り返る。「彼は私に『オリヴァー、これをドキュメンタリー作品として作るべきだ。人々はそれを知る必要がある。さもなければ、この事件に関する誤った情報が広がり続けるだけだ』と言ったのです」
そうして誕生したのが、『JFK/新証言 知られざる陰謀』だったのだ。
Photo: John F. Kennedy Presidential Library, National Archives
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FRESH EVIDENCE (新たな証拠)
『JFK/新証言 知られざる陰謀』は、2018年にロブ・ウィルソンがプロジェクトの資金集めを始め、ロンドン拠点のインジーニアス・メディア(Ingenious Media)とのパートナーシップが決定してから本格的にスタートした。その後、ウィルソンとストーンは、脚本を担当することになったディユジニオと手を組んだ。
「ジム(ジェームズ・ディユジニオ)は、実際に何が起きたのか、それにまつわる書物や資料について、とりわけウォーレン委員会の記録について誰よりもよく知り尽くしているんだ」とストーンは語り、ディユジニオと仕事ができたことを喜んでいる。
ディユジニオは「脚本を執筆するにあたり、私がやりたかったのは、何百万ページもの機密解除文書の中から、公式記録とされているストーリーを覆すために、最も重要で真実だと思われるものを選び出すことでした。非常に重要な発見だったにもかかわらず、主要メディアがこれまで無視し続けてきたものです。それと同時に、一般視聴者に理解できるようなものにしようと務めました」と語る。
当初3時間のドキュメンタリー作品になる構想だった本作の撮影は、2019年8月から9月にかけて行われることになり、『サルバドル 遥かなる日々』(1986)でも仕事を共にした撮影監督のロバート・リチャードソンと再会した。『JFK』の撮影でアカデミー撮影賞を受賞したリチャードソンは、再度ストーンが手掛ける本作にも参加することになった。
ストーンは、数ヵ月に渡り、ロサンゼルス、ダラス、ワシントンD.C.、サンフランシスコで様々な作家、歴史家、目撃者のほか、法科学、弾道学、医学の専門家たちに話を聞き、嘘や誤情報の裏側にある真実を明らかにするため、これまでのJFK関連のドキュメンタリーにはない新しい証拠について深く掘り下げた。
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『JFK/新証言 知られざる陰謀』では、ケネディ暗殺の隠蔽工作が、いかにお粗末であったかを系統的に描き出している。
「携帯電話のカメラを誰もが持っている今日であれば、こんな隠蔽は決してできなかったはずです。余りにも多くの目撃者が存在することになりますし、それについて話そうとする人が出てきます。でも、当時はみんながそれを怖がり、ほとんどの人が怯えていたと思います。自分が関わるには大きすぎる事案なので、沈黙を守って何もしないようにしよう…と。政府や軍、医療関係者、シークレットサービス、FBI、全国の主要なメディアなど、多くの人がそのような反応を示しました。唯一、CIAだけは冷静に事態に対応したようでしたが」とストーンは語っている。
映画の序盤で、観客は犯罪現場の証拠を厳格に処理する”書類受け渡し記録の管理”という概念が紹介される。
「JFKの殺人事件では、全ての元の証拠が疑問視されます。指紋、使用されたライフルそのもの、弾丸、狙撃時のオズワルドの居場所、そしてもちろん最大の誤審であるベセスダ海軍病院での検死の全てが説得力に欠け、疑問視されるべきものだとわかります。今日であれば、あのような証拠は全く通用しないでしょうし、裁判の初日に却下されることでしょう」とストーンは語る。
そしてロブ・ウィルソンは「医学と法科学面での隠蔽工作の無能さには、まるでコメディアンのキーストン・コップス(※1910年代にアメリカで活躍した警官隊のドタバタ喜劇スタイルのコメディアングループ)のような側面があります。しかし、行なわれた隠蔽工作が今日に至ってもネズミの巣窟であることを考えると、ある意味でこの隠蔽工作は成功したとも言えるでしょう。そしてJFK研究者の間でさえ、意見が一致しないことがいくつかあります」とストーンは加える。
ストーンとウィルソン、ディユジニオの3人が再調査の内容に慎重だったのはそのためだったとディユジニオは語っている。
「私が脚本で試みたのは、最終的に機密解除されたものやARRB(暗殺記録再評価委員会)が調査したもののうちで、最も明確な証拠が何であるかを一般大衆に伝えることでした。これらの事柄については、ほぼ全く曲解の余地はありません。一方で、JFK事件の写真資料にまつわる解釈は、研究者の間でいまだに激しく議論されています。特にJFKが殺される瞬間をカメラに収めた、ダラスの洋服店店主エイブラハム・ザプルーダーがスーパー8カメラで撮影したホームムービー映像(※いわゆるザプルーダー・フィルム)に何らかの加工が施されたかどうかといった事項は避けることにしたのです」とも語っている。
この作品では、ウォーレン委員会が避けてきたものや破棄された証言に焦点を当てるとともに、1964年当時から30年後のARRB(暗殺記録再評価委員会)での証言までの年月を経て、人々の証言内容がどのように変化したかについて辿っている。
「二人のFBI捜査官であるジェームズ・サイバートとフランク・オニールはとても重要な人物です」とストーン。
「ベセスダ海軍病院での解剖を監視するように命じられた彼らは、午後から夕方までずっと監視に立ち会い、彼らは後頭部の大部分が負傷している、と見たままを報告しました。しかしその報告は、まるでその解剖が実施されなかったかのように1964年のウォーレン委員会では削除されています」とウィルソン。
「公式記録のストーリーでは、ケネディは後ろから撃たれたとされていますが、ドキュメンタリー作品の中で示す通り、再評価委員会が機密解除した40人の目撃者の証言では、全員がケネディの後頭部に傷口が開いているのを見たと証言しており、これは前方からの銃撃と一致するものです」とウィルソンは加えている。
EXPERTS INTERVIEWED(取材に応じた専門家たち)
『JFK/新証言 知られざる陰謀』の取材に応じた専門家たちの顔ぶれは印象的だ。
ディユジニオは「脚本執筆中にリストアップしたインタビュー対象者は、あくまでも一種の希望リストでした。法科学病理学者と歴史の両面から、私が最高の作家であり権威があると思う人を選びました。そして、なんと全員がインタビューに応じてくださったのです。JFK事件のドキュメンタリーとしては、知識と才能が集結した最も包括的な作品だと思っています」と語る。
その中でも、事件に関する2冊の代表的な著書(「JFK and Vietnam」、「Oswald and the CIA」)を執筆した、歴史学教授で元米国陸軍情報部少佐だったジョン・M・ニューマンは、このドキュメンタリー作品の中でベトナムとCIAというテーマについて語っている。
ベトナムから撤退するケネディの意図が、彼の死後に覆されたこと、そしてオズワルドがロシアに亡命する前から、高い確率で彼がCIAと関係していた可能性があることだ。作家のデヴィッド・タルボット(著書「Brothers: The Hidden History of the Kennedy Years and The Devil’s Chessboard」)は、ケネディと米軍、さらに反ケネディ組織の最も強力的な人物のひとりとされたCIA長官アレン・ダレスとの衝突について語っている。
その他、法病理学者のシリル・ウェクト博士も登場する。ウェクト博士はアメリカ合衆国下院暗殺調査特別委員会(United States House Select Committee on Assassinations ※以後略⇒HSCA)の法医学病理学委員会の一員でもあり、映画の中でベセスダ海軍病院での検死の誤りについて見事に暴き、それを”恥ずべきもの”であり、”アメリカ国民に対する侮辱の極み”であるとした。議論される謎の一つとして、果たしてケネディの脳はどうなったのか、という問題もある。
また、2013年出版の「The Girl on the Stairs: The Search for a Missing Witness to the JFK Assassination」の著者、バリー・アーネストも重要な貢献をした一人となった。
彼は著書の中で、テキサス教科書倉庫の4階で働いていたヴィクトリア・アダムズの証言を検証している。ウォーレン委員会は、オズワルドが倉庫の6階の見晴らしの良い場所から3発を発砲したと発表しているが、アダムズは、発砲音を聞いてすぐにビルの裏の階段を使ったが、オズワルドのことは一切目にしていないと証言している。アダムズの証言は、一緒に階段を降りて行った同僚のサンドラ・スタイルズと、その場に留まった上司のドロシー・ガーナーによって裏付けられている。
しかし、アダムズのウォーレン委員会とのインタビューを収めたテープは破棄されてしまった。「それが何よりの証拠です」とストーンは語る。
ARRB(暗殺記録再評価委員会)のメンバーであるダグラス・ホーン、ジョン・R・タンハイム、トーマス・サモラックはARRBの仕事について、ARRBの手に渡らないように1995年まで重要文書を破棄し続けたCIAのこと、そして文書を入手するためにシークレットサービスと繰り広げた苦闘など貴重な洞察を提供している。
本作に登場するもう一人の重要な人物として、JFKの弟で1968年に暗殺されたロバート・F・ケネディの息子、ロバート・ケネディ・Jr.にもインタビューを行った。彼は、もともとストーンとディユジニオの二人とは面識があり、参加に同意した。
ストーンは、「ロバートは、(彼の)父親について非常に雄弁に語り、ケネディ暗殺の報せを受けた時の反応についても語ってくれました。彼曰く、彼の父が事件当日にすぐしたことは、CIAに電話をかけて『君たちが この惨事を指揮したのか?』と尋ねることだったと話している。1968年の大統領選への出馬が悲劇的な結末になった背景には、(彼の)兄の事件を再捜査させようとしたことがあると多くの人が考えている」とも話したと語っている。
世界中の外国指導者の暗殺を企てるCIAの秘密活動については、本作の後半3分の1の中で主に触れられている。
「ケネディは、すぐに着手したい改革のひとつとして、CIAを木っ端微塵に解体したいということや、アイゼンハワー政権時のような既成概念に囚われた画一的な組織の運営は許さず、大統領に対し責任を持たせたいと、弟や周辺の関係者に語っていました。それを裏付けるように、ケネディはCIAのトップ達(アレン・ダレス、リチャード・ビッセル、チャールズ・カベル)を解雇し、予算も削減しています。しかしケネディが暗殺された2年後、CIAはジョンソン政権下でその広範で違法な権限の行使を再開したのです」とストーンは語る。
Photo: Camelot Productions, Inc.
RE-SHAPING, RE-MOULDING(再構成)
『JFK/新証言 知られざる陰謀』の編集作業は、インタビューが終了したほぼ直後の2019年9月に始まった。この時点で、本ドキュメンタリー作品は4時間に及ぶプロジェクトになり、『JFK: Destiny Betrayed(裏切られた運命)』というタイトルであった。しかし、翌年の2020年9月頃に制作が終了したとき、この長大な作品の出来は、しっくりこなかったという。
「あまりに専門的な作品になりすぎていた」とストーンは振り返る。
このときプロデューサーのロブ・ウィルソンは、一緒に仕事をしていた友人の編集者でドキュメンタリー監督のカート・マッティラに、この4時間に及ぶカットを見せた。するとカートは、「『私がこれまで彼に説明してきた内容から想像したものとは全く違っていた』と言ったんです。彼は新たな証拠を紐解きながら、『オリヴァー・ストーン監督が撮った映画の続編のようなものになっている』と想像していたのです」と語っている。
「カートと私は、オリヴァーと本作を“2時間版の実録殺人ミステリー捜査”的なものにするアイデアについて話し合いました」その後、マッティラは息を呑むような本作のオープニングシーンに取り掛かかった。このシーンはケネディ暗殺にまつわる、これまでの詳細をありありと観客に思い出させる役割を果たしている。
作家でジャーナリストのジェファーソン・モーリーは、下院暗殺調査特別委員会(HSCA)の調査中、いかに隠蔽工作が長期にわたって行われてきたかについて、20年後の本作品の中で明かしている。
「下院暗殺調査特別委員会(HSCA)には、本当に嫌気が差している」とストーンは憤る。
「彼らは(1978年時点で)2番目の公式調査機関で、元CIAのジョージ・ジョアニーデスという人物が下院暗殺調査特別委員会(HSCA)との連絡係という非常に重要な役割を担っていました。なぜなら、彼らはこの事件とキューバとの無数のつながりについての調査をしていたからです。そしてCIAはHSCAに1963年にジョアニーデスは関わっていなかったと嘘をつきました。しかし、当時HSCAを担当していたボブ・ブレイキーはその数十年後、ジェファーソン・モーリーから、ジョアニーデスがオズワルドとキューバとのつながりを監視していたことを知らされました。この事実に加え、当初のウォーレン委員会は、7人で構成された委員会の一員だったダレスから、CIAが海外での暗殺事件に加担していたことも報告されていませんでした。実際、重要なCIAの情報は、すべてダレスが握り潰していたのです」
THROUGH THE LOOKING GLASS(白が黒で、黒が白だ)
ストーン監督ほか制作チームは、新型コロナウイルスによるロックダウン中でも、スカイプを通じて編集チームと仕事を続けた。作曲家のジェフ・ビールは、これまでにホワイトハウスを舞台にしたネットフリックスのドラマシリーズ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」(2013‐2018)や、アル・ゴア元米国副大統領が脚本を書いた『不都合な真実2 放置された地球』(2017)などを担当し、プライムタイム・エミー賞音楽賞を計5回受賞している。
「ジェフは、遠隔レコーディングと、ソーシャルディスタンスを確保してのスタジオミュージシャンによる録音とを組み合わせで楽曲を制作しました」とプロデューサーのウィルソンは振り返る。さらに「彼は僕たちが欲しがっているような、映画を高め、支えてくれるような変化に富んだ楽曲を提供してくれました。同時にオリヴァーが監督した映画『JFK』のジョン・ウィリアムズによるオリジナル楽曲にもオマージュを捧げています」と語る。
また、ナレーションには、オスカー俳優のウーピー・ゴールドバーグとドナルド・サザーランドという著名な演技派俳優を起用した。オリヴァー・ストーンは、ウーピー・ゴールドバーグについて、「彼女は私がいつも一緒に仕事をしたいと思っていた人」であり、「彼女の演技には温かみと臨場感があり、ケネディ大統領への愛情が感じられる」と語っている。
サザーランドの起用は、ストーン監督によるオリジナル作品『JFK』で“ミスターX”を演じたことへのオマージュにもなっている。ミスターXは、実在の人物フレッチャー・プラウティ(※元アメリカ軍空軍大佐で、ペンタゴンとCIAとの連絡将校の経験を持つ作家で外交評論家。映画『JFK』のアドバイザーも務めた)を部分的にモデルにした匿名の人物で、ケビン・コスナー扮するジム・ギャリソンに会い、15分間という長台詞の中で、アメリカの海外での「ブラックオプス(極秘任務)」について、そして、ケネディがダラスで撃たれたあの運命の日について語っている。
幸いなことに、サザーランドのナレーションは、ロサンゼルスがロックダウンされる数日前の2020年3月に録音が終了した。しかし、一方のゴールドバーグの録音は、彼女が司会を務める昼のトーク番組「The View」(アメリカABCテレビ)の撮影と合わせて、ニュージャージー州の彼女の自宅を使ってロックダウン中に行われた。
「幸運なことに、彼女の家にはすでに(TV放送の収録のために)レギュラーで出入りしていたクルーがいたので、リビングルームの周りを吸音性のある毛布で覆ってもらい、オリヴァーがスピーカーフォンで指示して収録しました」とウィルソンは語っている。
2021年7月の第74回カンヌ国際映画祭でワールドプレミアを迎えた『JFK/新証言 知られざる陰謀』は、この暗殺事件が衝撃的、かつ重要であったことを、古い世代だけでなく、新しい世代にも間違いなく知らしめることになるだろう。
プロデューサーのロブ・ウィルソンは、偏見のない人であれば、本作で伝えられている証拠(=新証言)と知られざる陰謀の数々を知って心が揺らがない方が難しいと信じている。
そしてオリヴァー・ストーンは、「この作品が上映されてとても嬉しい。私のオリジナル作品が存在し、そして今このドキュメンタリーが存在する。この作品は、大統領の殺害を組織的に行い、逃げ果せた権力者たちを捕らえるために最も近づけた作品だと思います」と力強く語った。
JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】
世界を震撼させた暗殺事件から60年…。巨匠オリヴァー・ストーン監督が『JFK』で描いた陰謀のストーリーは世界中で大ヒットを記録した。本作ではあの伝説の映画の公開後、新たに解禁された膨大な機密解除文書の中から“真実”と思われる重要な発見を白日の下に晒し、関係者のインタビューの中から浮かび上がってきた“新たな証拠”=「新証言」を深く掘り下げ、紐解きながら陰謀の真相をあぶり出した衝撃のドキュメンタリー。
作品公式サイトURL:
https://www.star-ch.jp/jfk-shinshogen/
視聴URL:
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CKNPNR6B
Photo: John F. Kennedy Presidential Library, National Archives
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