教皇名に隠された物語/海外ドラマ解説『ニュー・ポープ 悩める新教皇』(文/服部弘一郎)
アカデミー賞受賞歴もあるイタリアの巨匠、パオロ・ソレンティーノ監督が手掛けた海外ドラマ『ニュー・ポープ 悩める新教皇』(全9話)。本記事では登場する教皇たちの名前について、キリスト教に詳しい映画批評家の服部弘一郎さんに解説いただきました。
目次
はじめに
バチカンのローマ教皇庁を舞台にした『ニュー・ポープ 悩める新教皇』には、コンクラーベと呼ばれる新教皇選出選挙の様子が描かれている。枢機卿団の投票で選出された新教皇は、バチカンのサン・ピエトロ広場に集まった聴衆やマスコミに向かって一般謁見演説を行うのが慣例だ。
だがこの演説の前に、新教皇が最初に自分の決意を表明する場面がある。それはコンクラーベの直後、本名とは別の教皇名を決めることだ。
「自分はこのような教皇になりたい」
「教会をこんな方向に導いて行きたい」
教皇名には、そんな新教皇の思いが込められている。
『ニュー・ポープ』には3人の教皇が登場する。その名はいずれも「教皇名+○世」という形式。新教皇は過去の教皇の業績にあやかって、自ら同じ教皇名を名乗る。そのため過去の教皇を調べれば、彼らの目指した教皇像が見えてくるのだ。
ピウス13世/レニー・ベラルド(ジュード・ロウ)
前シリーズ『ヤング・ポープ 美しき異端児』の主人公であり、『ニュー・ポープ』では昏睡状態になっている教皇ピウス13世。劇中の13世も複雑な人物だったが、ピウスを名乗った歴代教皇には歴史的評価の難しい人物が多い。
例えばピウス10世(在位:1903−1914)は、教会内の諸制度を改革し、教会法の整備にも着手した教皇だ。だが彼は近代主義を批判する回勅を出すなど、きわめて保守的な教皇だった。カトリック教会には「聖ピオ10世会」を名乗る復古主義的なグループが存在して問題視されているが、この名前はピウス10世にちなんだもの。『ニュー・ポープ』に登場するピウス13世支持の過激派グループから、聖ピオ10世会を連想する人も少なくないだろう。
ピウス11世(在位:1922−1939)は独裁者ムッソリーニと交渉してイタリアとラテラノ条約(1929)を結び、バチカン市国の独立を成し遂げた教皇だ。しかしドイツと結んだライヒスコンコルダート(1933)はナチス政権を正当化する宣伝に利用され、ドイツ領内のカトリック教会を守るという本来の役目を果たせなかった。ピウス11世は共産主義への反発から、同じく共産主義を敵視するファシズムに融和的だったと批判されている。
ピウス12世(在位:1939−1958)は、現時点でピウスを名乗った最後の教皇。彼はホロコーストを知りながら、ユダヤ人を見殺しにしたと批判されることが多い。ドイツの劇作家ホーホフートは戯曲「神の代理人」(1963)でこの問題を取り上げ、コスタ・ガヴラス監督はそれをもとに『ホロコースト/アドルフ・ヒトラーの洗礼』(2002)という映画を作っている。
『ヤング・ポープ』の主人公はピウス13世という名を選ぶことで、社会の批判を恐れず、あえて困難で険しい道を歩んで行くことを宣言したのだ。この名に対して、枢機卿団が不安を感じるのは当然だろう。
フランシスコ2世/トマソ・ヴィリエッティ(マルチェロ・ロモロ)
劇中でピウス13世の後継として選ばれた枢機卿は、教皇名としてフランシスコ2世を選ぶ。フランシスコを名乗った教皇は、歴史上一人しかいない。それは2013年からバチカンの首長を勤める現教皇フランシスコだけ。その名の由来になっているのは、アッシジの聖フランシスコだ。
聖フランシスコ(1182−1226)は、歴代聖人の人気投票をすれば必ずベストテン入りするであろう有名な聖人だ。アメリカのサンフランシスコ市はこの聖人にちなんだ名であり、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの名もこの聖人にちなんでいる。フランシスコ修道会の創設者であり、その思想と行動は「清貧」の一語に要約することができる。
12世紀のイタリアで裕福な商人の息子として生まれたフランシスコは、突然信仰に目覚めてからは持ち物をすべて教会や貧しい人たちに施し、衣服すら投げ捨てた一糸まとわぬ姿で独自の修道生活に入った。波瀾万丈の生涯は何度も映画化されており、『神の道化師、フランチェスコ』(1950)や『ブラザー・サン、シスター・ムーン』(1972)はその代表例だ。
『ニュー・ポープ』ではフランシスコ2世の周囲を、フランシスコ会の修道士たちがボディガードのように取り囲んでいる。彼らはこの教皇に、修道会の創始者である聖フランシスコの面影を求めているのだろう。
急進的な教会刷新を断行する新教皇は、就任直後に急死してしまう。これはバチカン改革を掲げながら、在位わずか33日で急死したヨハネ・パウロ1世(在位:1978)を連想させる。この教皇急死事件には暗殺の噂が付きまとっており、映画『ゴッドファーザー PART III』(1990)でも暗殺説を採用している。
ヨハネ・パウロ3世/ジョン・ブラノックス(ジョン・マルコヴィッチ)
『ニュー・ポープ』の主人公となる新教皇が名乗ったのは、ヨハネ・パウロ3世。名前の由来になっているのは、急死したヨハネ・パウロ1世の後に教皇となったヨハネ・パウロ2世(在位:1978−2005)だ。彼は飛行機で世界中を飛び回り、親しみを込めて「空飛ぶ教皇」と呼ばれた。訪問したのはじつに100ヶ国以上。その中にはもちろん日本も含まれる。
ヨハネ・パウロ2世は就任したのが65歳とまだ若く、在位期間も長くなった。現在につながるローマ教皇のパブリックイメージは、彼が作り出したものと言っても過言ではない。コメディ映画『天使にラブ・ソングを…』(1992)ではラストシーンにローマ教皇が登場するが、その姿はヨハネ・パウロ2世にそっくり。多くの人に愛された教皇は、死後わずか9年で聖人に認定されている。
ただし『ニュー・ポープ』でヨハネ・パウロ2世の話題が出ることはほとんどない。新教皇が引用する言葉は、もっぱらニューマン枢機卿のものだ。
ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801−1890)は、英国教会からカトリックに改宗して枢機卿になった人物。多くの著書を執筆し、そのいくつかは日本でも翻訳出版されている。2019年に聖人に認定された。彼にはフランシス・ウィリアム・ニューマン(1805−1897)という弟がいて、兄と同じく一度は英国教会から離れている。『ニュー・ポープ』ではジョン・ブラノックスにも兄がいた設定になっている。これはニューマン枢機卿と彼の弟の関係に、ヒントを得たのかもしれない。
劇中でブラノックス枢機卿がヨハネ・パウロ3世を名乗るのは、誰からも愛される、教皇らしい教皇になりたいという気持ちからだろう。
新教皇のその思いは、どこから生まれたのか?
新教皇は、その願いを叶えることができたのか?
それは作品を最後まで見て、確認していただきたいと思う。
文:服部 弘一郎(はっとり こういちろう)
1966年東京生まれ。映画評サイト「映画瓦版」主催。
グラフィックデザイナーやコピーライターを経て、1997年から映画批評家として独立。新聞や雑誌での新作映画紹介、映画コラム、テレビやラジオへの出演、専門学校講師など、ジャンルやメディアを問わず幅広く活動。著書に「銀幕の中のキリスト教」(キリスト新聞社)、編著に「シネマの宗教美学」(フィルムアート社)など。
クリスチャンではないが聖書やキリスト教は大好き。日曜日ごとに近くの教会を訪問していたが、新型コロナ流行で現在は足止め中。好きな食べ物はタンメン。趣味はスポーツ自転車。
ニュー・ポープ 悩める新教皇
原題: THE NEW POPE
(c)Wildside / Sky Italia / Haut et Court TV / Mediaproduccion 2019.