ケイト・ウィンスレットの新たな挑戦『I AM ルース』解説(文/今祥枝)
誰もが知る実力派俳優、ケイト・ウィンスレット主演で製作された『I AM ルース』ついて、今祥枝さんにみどころを解説していただきました。ウィンスレット自身も脚本段階から大きく関わって作り上げられたという本作。ぜひ本編とあわせ、本稿もお楽しみください。
現代を生きる女性たちの心情を、さまざまな角度から率直に、かつ臨場感を持って切実に伝えるアンソロジー・シリーズ『I AM 私の分岐点』。ジェンマ・チャン、サマンサ・モートン、レティーシャ・ライト、レスリー・マンヴィルといった実力派俳優たちが各話に主演し、監督・脚本・製作総指揮を務めるドミニク・サヴェージと共同でストーリーを開発。さらに物語は大筋のみを決め、基本的に台本は作らず、俳優はほぼ即興で演じる。主演俳優たちは自らの思い入れのある題材で本作に挑み、サヴェージは手持ちカメラによる長回しなどを用いてリアリズムを追求する。そこには国や地域、人種や文化が違っても、世界共通と言える女性たちの普遍的かつ生々しい感情と体験がある。同時に、俳優もクリエイターも一歩も引かないせめぎ合いがスクリーンから伝わるテンションが、日常のありふれた風景を一級のエンターテインメントに昇華している。あの手この手で描かれてきたテーマを娯楽としてどう見せるのかという点において、これほどまでに演者を信頼し、共同で一つの作品を作り上げるという姿勢が明確なTVシリーズも、そうはないだろう。
このような前提から考える時、同作のシーズン3の第1話となる『
I AM ルース』に対する期待値は、当然ながら高くなる。問題を抱える17歳の娘フレヤとシングルマザーのルースの葛藤を演じるのは、当代きっての演技派俳優ケイト・ウィンスレットと、その実の娘で俳優のミア・スレアプレトンなのだから。ちなみに、フレヤの兄ビリーを演じるジョー・アンダースもウィンスレットの実の息子だ。現実の人間関係を仕事に用いることを好むサヴェージ作品では珍しくないが、ほかにもフレヤの男性教師はスレアプレトンの実際の恩師が演じているなど、ウィンスレットらと縁のある出演者もいる。
サヴェージの希望があったとはいえ、スレアプレトンに対して「親の七光で……」と懐疑的になる人もいるかもしれないが、それは杞憂である。「演技のマスタークラス」とも称されるサヴェージ作品におけるウィンスレットが、いかに素晴らしいパフォーマンスを見せているのかについては驚くに値しないだろう。しかし、壮絶な舌戦と物言わぬ心理戦が展開する本作において、ウィンスレットと対等に渡り合うスレアプレトンの力量なくして成功はあり得なかった。来たる英国アカデミー賞(BAFTA)ではウィンスレットが主演女優賞にノミネートされているほか、単独ドラマ部門作品賞の候補になっていることでも、この2人の顔合わせが話題作りなどではなく、その試みが高く評価されていることがわかるだろう。
92分の映画として、本作は冒頭から緊迫した母娘関係にぐっと引き込まれる。17歳のフレヤはどうやら反抗期にあり、母親に対する苛立ちを隠そうともしない。彼女は密かに自分の“セクシーな姿”を写真に撮ってはSNSに投稿しており、スマホを片時も手放そうとしない。今時の若者と表現するには一線を超えており、ソーシャルメディア依存であると考えられる。さらに手や顔を赤くなるまでこすりながら洗う姿は強迫観念的で、メンタルヘルスの問題にも踏み込んでいることがうかがえる。そんな娘に対して、つとめて明るく振る舞い、外の空気を吸うといい、あるいは夜中にスマホの通知音が鳴り続けているのはどうなのかと小言を言うルースは、鬱陶しくはあるがいわゆる一般的な親の反応と言えるだろう。
しかし、そうした日常の母娘のやりとりには、フレヤの抱える問題、精神的な不安定さが、より深刻であることを窺わせる緊迫感がつきまとう。この視聴者の心をざわつかせる不穏さは、ふとした瞬間に爆発する。自身も会社に出勤しなければならないルースは、なかなか自分の部屋から出てこないフレヤに「学校に遅れるわよ」と声をかける。やっと階下に現れたフレヤを見て、ピンクの化粧にしたのね、スカートが短過ぎない?と畳み掛けるようにルースが言うだけで、フレヤのイライラが増すのがわかり、はらはらするほどのスリルが生じる。そして、「そんな格好、娼婦みたい」とルースが言った途端、フレヤはブチ切れる。もちろん言ってはいけない一言だろうが、ルースの苛立ちもまた理解できる。ここからは、どれだけ相手の心を傷つけられるのかを競うようなフレヤの鋭利な言葉がルースの心をえぐり、売り言葉に買い言葉で応じてしまうルースの言動が、さらにフレヤの怒りを加速させていく。鬱屈したティーンエイジャーの怒りの矛先が最も身近な人物に向かうのも、娘を「よその子と同じ普通の高校生」(ルースのこの発想自体が「大人はわかってない」と思わせるものがあるが)と思いたいルースの心情も、多くの人にとって思い当たるものがあるのではないだろうか。
ウィンスレットはインタビューで本作について、実際の状況に触発されていると語っている。そして、「見るのが非常に難しい部分があることは明らかだが、タイムリーで直感的で真実に感じられるストーリーを伝えたかっただけ」とも。この言葉の通り、本作はしばしば居た堪れなくなるようなシーンの連続だ。例えば、こんなシーンがある。客観的な視聴者の視点からすれば、娘と喧嘩をしている時に離れて暮らす息子ビリー(フレヤの兄)と電話で話し、明らかに兄を頼りにしているのがわかる母親の姿を、物陰からそっと伺うフレヤの気持ちは悲しい。さらに言えば、「親だから」という理由で、子供のプライバシーに土足で踏み込むようなことをしてしまうルースに対して、分け知り顔で「若者の気持ちをわかっていない」と批判することはたやすい。
しかし、フレヤが直面している問題は命に関わることなのだという疑いが頭をもたげてくるにつれて、本作はスリルという以上に、もはやホラーとも言える恐怖を感じさせる。そうした状況において、果たしてルースには何ができるのか、どう行動するのがより良い選択なのかと、視聴者もまた頭を悩ませることになる。もし正解があると考えるならば、それは傲慢というものだろう。良い親の定義や子育てにおける正解などは存在しないのだから。多くの母親と同じように、ルースは完璧な母親でも人間でもなく、間違いもする。そして、圧倒的に孤独だ。ウィンスレットとサヴェージが腐心しながら本作で伝えているのは、そうした「一般的な現代女性の等身大の悩み」なのである。
『愛を読むひと』で第81回アカデミー賞主演女優賞に輝いたウィンスレットは、実に7度のオスカーノミネートの経歴を持つ。英国アカデミー賞などを含めて、各国の主要な賞レースでの華々しい実績は、改めて言及するまでもないだろう。TV作品としては、主演と初の製作総指揮を兼ねた2021年の賞レースを席巻した『メア・オブ・イーストタウン/ある殺人事件の真実』が記憶に新しい。田舎町の人生に疲れ、がさつな中年刑事を、ほぼすっぴんで演じるという役作りも話題になった。本作ではサヴェージと共にストーリーの構成にも携わるなど、テレビの領域において新たな挑戦を続けている。出演待機作として、HBOドラマ『The Palace(原題)』(2024年)では製作総指揮、映画『Lee(原題)』でもプロデューサーに名を連ねている。『I AM ルース』での実績を踏まえて、さらなる進化を遂げるウィンスレットの次のステージにも期待せずにはいられない。
『I AM ルース』
原題:I AM RUTH
ドラマ公式サイト:
https://www.star-ch.jp/drama/iam/sid=3/p=t/
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