笑えるけど、笑えない。救いがないけど、救われる。|解説『超サイテーなスージーの日常』(文/ブルボンヌ)
人生最大のピンチに直面した落ち目の俳優の毎日を過激に描いた『超サイテーなスージーの日常』。本作について女装パフォーマー/ライターのブルボンヌさんがみどころを解説。ぜひ本編とあわせてお楽しみください。※最終話の展開を含む一部ネタバレが含まれます
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虚実ないまぜ、容赦なくリアルな物語
人生には本当に、まさかの暗転がある。世界中を覆ったコロナ禍では、直接的な死はもちろん、廃業や転地を余儀なくされた人が数多くいた。病気や事故、戦争や災害によって、想定していた幸せな未来はいとも簡単に崩れ去る。
「エロ画像の流出」という悲劇に見舞われたのが『超サイテーなスージーの日常』の主人公スージーだ。病気や戦争と比べてはいけない失笑系トラブルにも思えるが、日常のメモがわりにスマホで写真を撮りまくる時代、デフォルトの設定でそれがクラウドにアップされる。スキモノの遊びにハッキングや誤爆が重なれば、あっという間に恥ずかしい写真が世界じゅうに共有されてしまう恐怖は他人事ではない。
そう、スージーの世界は容赦なくリアルだ。そもそも演じるビリー・パイパーが自らの現実にあえて重ねている。15歳で歌手として大ヒットを飛ばし、その後俳優に転向しSFドラマが代表作となった。この先、ビリーのエロ写真が流出しないか心配になるくらい、まんまな設定なのだ。元ティーンアイドル俳優のリアリティショーを見せられている気にもなるし、その虚実ないまぜなガチ演技でしっかり本作で英国アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされている。
ダメ女、スージー
避けられない死を受容していく「キューブラー・ロスの悲しみの5段階」を元に、象徴的なキーワードで題された全8話は綿密に構成され、シャレた演出も目をひく。たとえば「恐怖(FEAR)」の第3話ではクラシックなホラー映画風になっていたりと飽きさせない。画像流出というたった一つの衝撃の余波が次々と「見ないふりをしていた、先送りにしていたこと」を開いていく。その場限りのしらじらしい嘘、逃避のためのドラッグ、実は画像の相手は旦那ではなかったこと。なのにこの期に及んで浮気相手との関係を守ろうとするズルズルっぷり…。
そう、スージーは本当にダメ女なのだ。そして流出した妻のエロ画像に映ったチ〇コの色が自分と違えば、寝取られマニアでもない限り夫は怒る。この夫の怒り方がまたリアルで、全然大人じゃないのもいい。さらに追い詰められた緊張感の中で吊り橋効果よろしく「妻にも話した、一緒になろう!」なんて高まっちゃう浮気相手もオスっぽい。(もちろん本当は妻に言ってなんていない。)でもスージーは「この人に迷惑をかけちゃいけない」とこれまた恋に落ちた女の愚かさスイッチ入りまくりなのだ。
ここまで読んで「え、そんなダメ主人公のドラマを見せられるの?そんな女に寄り添わなきゃいけないの?」と思ったかもしれない。見てほしい。繰り返し画面に大映しになる原題、「I HATE SUSIE」を。私はスージーが大嫌い!それでいいのだ。
そうしてスージーのダメさの意味が深堀りされていく。マスターベーション中の妄想で繰り広げられる「乱暴な男」像に、幼馴染で自身の代理人でもあるナオミが入り込んでは冷静にツッコむ。「あなたが考える性的魅力は男が吹き込んだものよ」。自慰行為に表れるジェンダーバイアスを突き付けるのも赤裸々な作風ならでは。嗜虐的性向の持ち主は意外に多いがそれは本当に自分が求めているものなのか。女性が自分から性を求めることと、同意のない行為を拒絶できることは両立できるはずなのに、社会はそれを嘲笑する。
そして冷静に親友をフォローしていた立場のナオミもまた、仕事に生きた分遅れてしまった妊活のままならなさに自身を安売りしてしまう。立場の違うダメ女たちのブザマな姿を笑いながら、私たちは気付く。自分だって今までもこれからも、テーマは違えどダメなところだらけだったはずだ。なのに他人事なら、寄ってたかって心を引きちぎられる姿さえ消費できる。ネット時代に生きる私たちはみな、お互いに対して心のないゾンビになりうるのだ。
人格者のセレブ、美しいインフルエンサー、そんなハリボテを見ながら私たちは勝手に自分たちのダメさを思い知り傷つく。それは同じくダメな家族のせい?生まれつきの属性や性的指向のせい?自分がうまくいかない理由を探し始めながら、繰り返し大写しされる「I HATE SUSIE」が刺さる。傍観者である私たちがダメな主人公を嫌っているのではなかった。彼女はずっと彼女自身のダメさを憎んでいた。国の調査でもはっきり自己肯定感が低いという結果が出ている日本に生きる私たちも、「I HATE ME」を繰り返していたのではないか。
大嫌いは大好きの裏返し
こんなに救いようのない、失っていくばかりの物語なのに、何度も吹き出してしまう。いつかのブリトニーを思い出す、乗用車にブチ切れ襲いかかるスージーのように、追い詰められた人間の姿に冷酷な好奇心は群がる。彼女のオネエさんばりにオーバーな一挙一動に笑いながら、どこかで通じる自分にヒヤリともする。
「悲しみの5段階」と同様、ラストの「受容」へと突き進むスージー。たかだか数枚のエロ画像が自分のダメさも周囲のダメさも暴き出し、夫も親友も子どもも、当たり前にあったものが全て離れていく。それでもスージーの言動はあくまでコミカルだ。昭和オネエの脳内に美川憲一先生の『駄目な時ゃダメよ』を流しながら、ダメ女の転落物語をもはや他人事として切り捨てられなくもなった。欲望たっぷりで自分に正直なあんたは、この先どうなっちゃうんだろうね。と、何もかもを失った女に最後に手を差し伸べたのは、通りすがりの中年のゲイカップルだった。男社会から軽視される痛みを共有するゲイたちは、時にやるせない女たちの理解者になれる。ボロボロの彼女を守るべきは私たちなんだと言われているようで、さんざん笑った私は、不思議なくらいに泣けてきた。
大嫌いは大好きの裏返し。正しさと美しさがあふれた世界では、自分のダメさを思い知らされるばかり。それでも一生そばにいる私自身を、嫌うだけで終わりたくはないもの。笑いながら笑えなかった。救いがないのに救われた。私はスージーが大嫌い。そして大好きよ!
視聴方法
『超サイテーなスージーの日常』
原題: I HATE SUZIE
動画配信サービス「スターチャンネルEX」にて配信中!
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