楽曲の中にゲイネスを忍び込ませていた、80年代アーティストたちの戦い
宇野「以前、俺がホストを務めた『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』のポッドキャスト番組で木津君にゲストで来てもらい、今回は木津君がホスト。こんな依頼、断れるわけないよね(笑)」
木津「ありがとうございます!数奇なことに今回はホストをさせていただき緊張していますが、宇野さんが来ていただいて頼もしく思っています。今回の『IT'S A SIN』は、『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』と同じくクィアの若者たちを描いた青春群像劇の部分もありつつ、舞台も設定も作風も異なる、1981年から1991年までを描いたドラマです。宇野さんはご覧になってどんな感想を抱きました?」
宇野「すごく面白かった。昔話をあまり能動的にはしないようにしているんだけど、自分にとって80年代は最も多感な10代と丸々重なる時期であり、音楽をスポンジのように吸収していた時代。その中心にあったのが、この作品でも流れているイギリスのポップ・ミュージックだった。そういう目線から『IT'S A SIN』を見ると、いろいろ気づかされることも多かったね。エイズという病気が日本のニュースで普通に報道されるようになっていった過程も、当時中高生だった頃に全部見ていたから、その“答え合わせ”という面もあった。想像していた以上に過酷な環境だったことにも気づいたよ。さらに、80年代のニューヨークのクラブシーンで聞かれた『重要人物がどんどんエイズで亡くなっていく』という話が、その特殊な場所だけで起きていたことではなく、比較的普通のロンドンのゲイの人たちの間で仲間がどんどんいなくなっていたことにもね。この話は誇張ではないよね?」
木津「全然誇張ではないでしょうね。僕も当時のイギリスの状況を見聞きすることはあまりなかったので、勉強になるところが多かったです。80年代アメリカのエイズ・クライシスものといえば『エンジェルス・イン・アメリカ』などたくさんあるけど、とにかく人が死にまくっていましたね。パラダイス・ガラージというクラブを作ったメル・シェレンの自伝でも、憎み合った人も恋人も、好きだった人も友達も全員死んでいくという様子が書かれていたし。それはとても壮絶で辛いことだけど、本当にそんな感じだったそうだし、このドラマもリアルに描けていると思います」
宇野「当時のイギリスについてはデレク・シャーマンの映画を見たり、音楽だけじゃなくいろんなところでリアルタイムの情報を得ていたつもりだけど、『そうなんだ』と思うことばかりだったよ。ちなみに、このドラマのタイトルはもともと『BOYS』だったらしいね。Amazon Prime Videoの『ザ・ボーイズ』とまぎらわしいから変えたんだろうけど、1987年のペット・ショップ・ボーイズの曲と同じ『IT'S A SIN』というタイトルはとても象徴的。ペット・ショップ・ボーイズの『IT'S A SIN』は、最初に彼らが出てきた時のセンセーションからちょっと間隔が空いたタイミングのもの。今見るとあの2人(ニール・テナントとクリス・ロウ)がゲイ・カップルというのは明らかに分かることだけど、当時はそういう紹介は一切されなかったし彼ら自身も公言していなかった。『IT'S A SIN』が何について歌っているのかようやく分かる、高校時代に聴いた曲だったよ。当時エイズで亡くなる人も出ていた中、それまで聴いていた音楽の半分 以上がゲイのミュージシャンによるものだったと言って過言ではないけど、その頃は全然認識しないで聴いていたから不思議な感じがするね」
木津「そのあたりは、僕が上の世代の人たちと話していても不思議な感じがします。80年代のイギリスのポップスでもクィアな広がりがあったことを歴史としては知っていて、その文脈でペット・ショップ・ボーイズの曲も聴いてました。隠れゲイを皮肉った『Can You Forgive Her?』など彼らの曲は諧謔に富んでいて、ゲイネスやクィアネスをどんどんポップスの中に忍ばせていた。当時はそういう戦い方をしていたんですよね」
宇野「今の日本のミュージシャンでも、こういう戦い方をしている人はいるよね。ペット・ショップ・ボーイズもブロンスキ・ビートもOMDもそうだけど、イギリスではポップ・ユニットとバンド・カルチャーという2つの流れがある中、ゲイのアーティストはバンドではなく2人組のユニットが多いんだよ。もちろん例外はあるけど。このドラマの主要人物たちにはバンドの青春グラフィティ的なところがあり、主人公のリッチーも含めて彼らには仲間がいて、悩みや苦しみや喜びを分け合うことができた。ストーリーだけを見ると救いがないけど、見ていてそんなに陰鬱な気持ちにならないのは、仲間と支え合うという物語だから。『仲間っていいよな』と感じながら見ていたら、『そういえばイギリスのアーティストって、みんな2人組だったな』ってふと思ったんだ。ゲイとヘテロの組み合わせだけどワム!もね。もちろんクイーンみたいな例外もあるけど」
宇野「イギリスは本当に不思議な国でさ。どの国にも国民的シンガーと呼ばれるようなアーティストがいるでしょ、アメリカならブルース・スプリングスティーン、日本なら矢沢永吉や桜井和寿とか。イギリスはエルトン・ジョン、フレディ・マーキュリー、ジョージ・マイケル…王室の前で歌うような国を代表するシンガーが、70年代から90年代までみんなゲイなんだよ」
木津「そうですね。ビートルズのようなバンドとはまた違ったカルチャーで、大御所のポップシンガーにゲイが多い」
宇野「チャートもそうだけど、ダイアナ元妃やフレディの追悼で国の代表みたいな場所に立って歌うのは、エルトンやジョージだった。ゲイのカルチャーを描いたりゲイの表現者が作る作品って、ゲイの人だけでなくすべての人に向けられたものでしょ。それらが昔からちゃんとポピュラリティを得られてきたんだから、このドラマがヒットしたことも含めて、イギリスは不思議というか独特な国だよね。『IT'S A SIN』も“戦ってる”というより朗らかな部分があるし」
木津「クィアネスをポップに混ぜていくのは、イギリスだけに限らずクィア・カルチャーの流れの一つです。『Y.M.C.A.』がゲイの曲だと日本でどれだけの人が認識してるのか、あるいはサッカーのスタジアムで『Go West』が流れる時にみんなはどんな気分になってるのか…僕にとっては複雑に思うところがありますが」
宇野「サッカーなんて本来は真逆のカルチャーだからね」
木津「そういうところにねじ込むあたりが、イギリスのカルチャーは独特ですね」
宇野「『IT'S A SIN』に関しては、彼らにはこんな仲間がいて、過酷な状況でも生きたという話。だから、悲しい話だけど悲しくならないんだ。そして、デジタルで撮影しているんだろうけど、絵作りの野暮ったさがザ・イギリスという感じ。そのあたりも含めてとてもイギリス的で、ウケたのもよく分かるよ」
エイズが“深刻な病”でなくなった今、表現者は「どう語るか」が問われている
木津「本作における80年代当時のリアリティでいうと、脚本家で製作総指揮も務めたラッセル・T・デイヴィスが実体験として経験してきたことがかなり入っているのが大きいと思います。一方、このドラマがイギリスでヒットしたことに対しては、時代が変わったなという気もします。当時のHIVの状況やゲイ・カルチャーを知ることができるから僕なんかはパッと飛びつく作品だけど、そういう人の外まで広がっていったということは、2010年代にいろんな性的マイノリティの表現が出てきて、Netflixのティーンドラマに性的マイノリティのキャラクターが当たり前のように出るようになるなどの土壌があってこそでしょう」
宇野「ラッセルほどのヒットメーカーでも、この企画はいろんな局に断られているんだよね」
宇野「そしてチャンネル4で放送されたら大ヒット。断った局に対してはざまあみろ!という気持ちだろうね」
宇野「あと、HIVが病気としては以前ほど重大なものではなくなったからこそ、こういう作品が描けるようになったところもあるんじゃないかな」
木津「はい。そのあたりは萩原麻理さんとの番組でも語ったのですが、若い人にとってHIVは『薬を飲んでいたら発症しないし大丈夫』というぐらいの価値観になっています。良くも悪くも」
木津「そのせいでカジュアルというか無防備なセックスをしてしまうということです。でも大丈夫はいえ、ウイルスが広がること自体は抑制した方がいい。そんな中でHIVをどう語るのかは難しいところですが、例えばライアン・マーフィ―が『POSE/ポーズ』でエイズを扱っているのも、上の世代がエイズのことを語り直そうとしているのでしょう」
宇野「そんな今、時代錯誤なことを言ってあらゆるフェスからキャンセルされたバカなアーティストがいたよね…。今年の7月末にマイアミで行われたローリング・ラウドというヒップホップフェスで、ダベイビーが『2~3週間で死ぬ病気にかかってないヤツ以外は、スマホの明かりをつけて手を上げろ』というひどい掛け声をしたんだよ。その場でも客から靴を投げられてたけど、あんまり反省してなくて翌週からぼこぼこフェスをキャンセルされ、エルトン・ジョンやマドンナら大御所からもかなり辛辣な苦言を呈された。
ダベイビーはこの2~3年に出てきたラッパーで、リル・ベイビーと並んで急に大きくなった人。曲を出せばビルビードの1位になるし、昨年はブラック・ライブズ・マターの象徴的な曲となる『Rockster』も発表していて、パフォーマンスもメッセージ性が強い。そして別に暴言性をウリにしてきた人でもない。今回の彼の発言は基本的には無知によるものだけど、ラップ・コミュニティやヒップホップ・コミュニティに根強くあるホモフォビア(同性愛に対する差別や偏見)をこんな形で今あらわにするなんて、と頭を抱えてる人も多いはず。ダベイビーはオファーされたらどこでも客演するから、ゲイ・コミュニティから支持の高いアーティストともたくさん絡んでいる。特殊なラッパーではなくメインストリームど真ん中のラッパーがそんなことを言ってしまうなんて、なかなかひどい話だったね」
木津「その話が辛いのは、HIV/エイズがPrEP(予防薬)の浸透によって罹患率が下がってきている中、黒人やPOC(有色人種)の罹患率がいまだに高いこと。それはPrEPそのものや治療へアクセスする知識がなかったり、何より経済格差の問題があるから。白人のゲイはHIVをそこまで恐れなくなってるけど、黒人のゲイ・コミュニティではまだまだリアルな問題としてあるわけです。その中でダベイビーがあんなことを言ってしまうのは辛いですよ」
宇野「アメリカだとそもそも健康保険の問題があるけど、PrEPは値段が高いの?」
木津「保険適用されているので保険に入っていればそこそこのお金で手に入れられる、とは聞きますね」
木津「そうなんです。今アメリカでは、保険さえ持っていれば無料でPrEPまでアクセスできるというところまで議論が進んでいるそうです。ただしそれだと、保険を持っていない黒人やPOCが逆にアクセスしづらいんじゃないかという意見もあります。新型コロナもPOCがかかりやすかったという話を聞くと、難しいところです」
木津「はい。『黒人のヒップホップ・コミュニティがホモフォビア』というステレオタイプを多くの人が変えてきたのに、このタイミングでこういう問題が起きることは、いろんな意味で辛いですよ。『IT'S A SIN』が配信される段階でダベイビーがどういう状況にあるかは分かりませんが、彼もこの機会に向き合ってほしいですね。HIVの財団も彼に対して『一度話し合いましょう』オープンレターを出しているので、今後何かしら前向きな展開を期待しています。その一方、キャンセル・カルチャーも問題を含んでいると思いますけどね」
宇野「俺はキャンセル・カルチャーに対して否定的な立場を取ることがほとんどだけど、これに関しては彼が言ったことに弁解の余地がまったくないし、その後の反省の弁に反省がまったく見られないのが合わせ技だった。それでもフェスに出て客から罵声を浴びることも含めて責任の取り方もあると思し、ダベイビーが目的でチケットを買った人も数千人はいるはずなのに、フェスは一人だけそういう理由で排除してもチケットを払い戻しできない。ただ、フェスから排除するのは正解かどうか分からないけど、ダベイビーを巡って連鎖的にキャンセルが起きるのは仕方ないんじゃないかな」
木津「仕方ないですね。キャンセルもそうだけど、批判は当然起きてくるものですから、本人にはしっかり向き合ってほしいですね」
※ その後、ダベイビーはHIVやエイズの正しい認識を学ぶためにアメリカ国内の9つの団体の会合に参加したことが報じられている。
抑圧された時代の性的マイノリティたちの野心が、時代を切り開いた
宇野「そういえば2年前にフランク・オーシャンがニューヨークで、『もしも80年代のクラブシーンにPrEPがあったら』というコンセプトのナイトパーティ『PrEP+』を行ってたね」
木津「あれは感動しました。2010年代のポップスターたちが『LGBTの権利を認めよう』と言う中でも、フランク・オーシャンのように優れた曲を作っていてポップスターとしても存在感のある人が、当時そこまで具体的なメッセージを出したことは覚悟が必要だったと思うんです。黒人のクィア・コミュニティにまだPrEPが浸透していないことが気持ちの根っこにあったのでしょう。彼は一段抜けているなと感じさせられました」
宇野「フランク・オーシャンは一段二段抜けすぎて、もはや宝石屋になっちゃったからな」
宇野「本当に我々は不思議な時代に入ったよ。フランク・オーシャンはHOMERというブランドを立ち上げてニューヨークにお店を出し、プラダと協業しながら宝石を売るというもはや実業家。リアーナとかもそうだけど、収入面では音楽の方が副業になっている状態だね。
それに関連する話で『IT'S A SIN』を見ていて思ったのが、みんな上昇志向が強いこと。ロスコーはゲイであり黒人というダブルのマイノリティだけど、マイノリティである若い人たちの純粋な成功への野心は、見ていて気持ちよかったよ。フランク・オーシャンにせよリアーナにせよ、彼らがあそこまで実業に励むのもベースは同じ。幼少期に家族が困窮していた人ならではの上昇志向だよね。資本主義的な成功に邁進する表現者に対する批判は多いけど、俺はそういう風潮に対してすごく違和感がある。彼らの上昇志向がどこから出てきたのかを見る必要があるよ」
木津「フランク・オーシャンは実業家的な部分を出しつつ、その先もイメージしている気がします。『PrEP+』を行うことは、それほど彼にとって切実な思いがあったんじゃないかな。『PrEP+』は白人の非クィアのアーティストが多くフィーチャーされていたことに対して批判もありましたが」
宇野「招待客ばっかりだったことにも批判があったよね」
木津「フランク・オーシャンがプロモーションの上手な人だからやっかみもあったのでしょう。それでも2回目は黒人やクィアのアーティストもたくさんフィーチャーしていて、素晴らしい機動力でした。あの時期、彼はほとんどインタビューを受けていなかったけど、『ゲイ・タイムズ』というインディー雑誌の独占インタビューを受けて彼氏の話をしたり、コミュニティにちゃんと還元したいという気持ちがあるんじゃないかな。『IT'S A SIN』もコミュニティへの還元やつながりというのがテーマになっていて、そうしたコミュニティ感覚が出ているところも良かったです」
宇野「でも木津君はそういう野心家じゃないよね(笑)」
宇野「成功することによって目にもの見せてやる!という動機が湧きやすいでしょ。『IT'S A SIN』でもまさに『認めさせてやる』という気持ちが描かれているし」
木津「それは人にもよるかな。あと、世代的なものも若干あるかもしれない。僕は海外のインディーやアンダーグラウンドのクィア・カルチャーから影響を受けて雑誌を取り寄せるような十代を送っていましたが、そういう雑誌にもアディダスやディオールの広告が入ってるんですよ。裸の男の股間をアディダスのドットだけで隠してゲイ仕様に作られていて、これができる胆力はすごいなと思いました。野心家のゲイたちがそういうところまで進出した結果、ネットワークを作って企業からお金を引っ張ったわけですから。『IT'S A SIN』に参加している大御所のクリエイターたちも、それこそエルトン・ジョンまでつながっているわけで、そういう野心家のネットワークもうっすら見えてきます」
宇野「木津君のマインドは世代的なものもあるはず。気づいた時にはゲイの表現者は誇りを持ってオープンにしている時代だったわけだから。俺たち70年代生まれの人間とは、そのあたりの感覚が違うと思うな。これはデリケートな問題なので気をつけて話さなきゃいけないし、アウティング(本人の了解を得ずにセクシュアリティの秘密を暴露すること)につながることも言ってはいけないんだけど、80年代に自分が聴いていた音楽って半分近くがゲイのアーティストによるものだった。プリンスやデヴィッド・ボウイのようにそうしたイメージを擬態するアーティストもいたけど。ただ逆に言うと、プリンスやデヴィッド・ボウイがいてくれたおかげで、いわゆる垣根がなくなったし、そんな中で俺はゲイのアーティストの楽曲で育ってきた。あと、自分が触れてきた映画や音楽の批評家たちも、ゲイの率が高かった。海外の批評家たちって一般の人よりもゲイの率が高い傾向があるよね?」
木津「高いと思います。僕の場合、まだまだ日本でカミングアウトできない人が多い中、マインドセットや環境的な問題もあるとはいえ、直接的な被害を受けることもないからカミングアウトして気楽にやれているけど、そういう状況を作ってくれたのは先達の影響もあると日々感じています。昨今のゲイ・ドラマを見ていると、世代間のちょっとしたいさかいが出てきますよね。例えば、50~60代のゲイは『今の若者は同性婚やコンドームなしのセックスができていいよな。その前の時代を切り開いたのは俺達なのに』と考えていたり。人によっては年寄りの説教に聞こえるかもしれないけど、僕はそこに一定の敬意を払いたいなと思うんです。もし自分が80年代の渦中にいたら、どうなっていたか全然分からないし」
宇野「80年代はHIVウイルスのような偏見の温床になるものがさらにあったわけだしね。もしエイズがなかったら、80年代の時点でみんなもっとゲイをオープンにしていたかもしれない。それにエイズで亡くなる人もいないわけで、歴史も変わっていたはず」
音楽の歴史で特殊な盛り上がりを見せた80年代ポップミュージック
宇野「そういえば『IT'S A SIN』でバリー・マニロウのネタが出てくるけど、彼がカミングアウトしたのは73歳の時。今78歳だからまだ5年前なわけで、過去の人たちはカミングアウトしたくてもできなかったんだろうな」
木津「そうですね。だからこそ表現に忍び込ませてきたんでしょう。R.E.M.のマイケル・スタイプもカミングアウトしたのは21世紀になってからだし。
SpotifyやApple Musicにこのドラマの音楽のプレイリストがあるので聴いていて面白いなと思ったのが、80年代は本当にトンチキな時代だったなということ(笑)。過剰にきらびやかで、悪く言えばちょっと軽薄で浮足立っている。僕は90年代から海外の音楽に触れてレディオヘッドの『OKコンピューター』あたりが入口の世代なので、80年代の過剰なキラキラ感は独特だなと今でも思います。80年代リバイバルが何度も起きているのも、真似できないこの時代ならではのものがあるからでしょうね。宇野さんは80年代がまるまる十代ですが、そういうポップスをどう受け止めていましたか?」
宇野「このドラマの出だしはOMDの『エノラ・ゲイの悲劇』で、本当にトンチキだと思うよ。“エノラ・ゲイ”は広島に原爆を落としたB-29の愛称で、サッチャーがアメリカの核軍備をイギリスに認める時期と重なったアンチ・サッチャー・ソング。OMDの楽曲でいまだに最も再生されている大ヒット曲だけど、タイトルにゲイって入ってるからディスコ・チューンではゲイの曲としてウケたんだって。そのエピソード自体もトンキチだよね。
当時、テレビ朝日で毎晩夜に海外のニュースを放送する『CNNデイウォッチ』という番組があってさ。今だと海外のニュースってNHK BSくらいでしか気軽に見れないけど、当時はCNNがテレビ朝日とがっつり組んで毎晩海外ニュースの番組を放送してて、そういう番組でエイズのことも詳しく知ることができた。その番組のテーマ曲が『エノラ・ゲイの悲劇』だったんだよ」
宇野「自分の世代はこの曲を聴けば『CNNデイウォッチ』を思い出すわけだけど、原爆を落とした飛行機の愛称の曲を報道番組で流すのは…。もちろんこの曲にメッセージはあるけど、分かりにくいんだよ。主題歌にするのはどうなんだろう? たぶん何も考えてなかったんだろうけど、いろんな意味でイギリスも日本もおおらかというかトンチキというか。
他にもTVの深夜放送から大きな影響を受けていて、小林克也さんの『ベストヒットUSA』もそうだけど、圧倒的に大きかったのはピーター・バラカンさんの『ザ・ポッパーズMTV』。さっき話した『IT'S A SIN』の曲の背景もこの番組で知ったんだよ。ちゃんと解説しつつフルでPVを流して。今思うと、その番組ではゲイのブロンスキ・ビートを激推ししていて、すごくゲイの率が高かったな。
今のバラカンさんはルーツ・ミュージックとかに近いイメージだけど、当時は同時代にあたる80年代イギリス音楽の伝道師であり、YMOの英詞や海外コーディネイトなんかも手伝っていたこともありエレクトロニック・ミュージックの伝道師だったんだ。一方でソウル・ミュージックの本も書いていたから読んだし、その影響もあってイギリスのエレポップと平行してブラック・ミュージックの名盤なんかも掘っていた。今のようにリスナーがセグメントされる前の時代で、自分だけでなく世の中全体でもいろんな音楽が混在し、リスナーにも受け入れられていた時代。その中で育ったんだなとつくづく思うよ」
木津「80年代ポップスのどんな部分に刺激されましたか?」
宇野「偏見のなさかな。なぜカルチャー・クラブやデュラン・デュランやスパンダー・バレエが当時ヒットしたかというと、MTVが黒人音楽を嫌ったから。MTVが大きくなって一般家庭でも流されるようになった時、白人の保守層から『黒人の音楽を流すな』とクレームがきたんだよ。そんなMTVの方針に対してデヴィッド・ボウイはめちゃくちゃ怒ってさ、当時のMTVのインタビューの最後でブチギレたんだよ。それを番組でリアルタイムに語ったデヴィッド・ボウイも偉大なんだけど、そういう状況をマイケル・ジャクソンの『スリラー』が変えていった。
その流れでマイケル・ジャクソンとプリンスのグローバル・スター化があるわけだけど、彼らが出てくる前はMTVというフォーマットに人気があるのに流す曲がなかった。そこで『じゃあイギリスの白人アーティストの音楽を流そう』となったわけ。グラムロックをルーツとする彼らは化粧をし、アメリカのむさっ苦しいバンドと比べたら見栄えもいいということで、イギリスの白人アーティストたちの音楽が大量に流されたわけ。それが第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの実態で、並行してマイケルやプリンスやマドンナがブレイクしたんだよ。MTVの力で。特にボーイ・ジョージのような存在は画期的だった。女装しているフロントマンというのはアメリカではタブーにならず、それこそ黒人よりも女装の方がOKだったくらい。ああいうものを見ながら育っていくと、ゲイに対する偏見ってなくなるよね」
木津「そこは面白いですよね。アメリカではディスコに対して『あれはゲイのものだ』という反発もあったけど、イギリスのポップスは国内産ではなく輸入されたものだから楽しめるところがあったと思うんですよ。アメリカ的男らしさという文脈がなくなるから。日本からの需要も、良くも悪くもイロモノ扱いでしたよね。『カーマは気まぐれ』の『Karma,karma,karma』という歌詞をオカマのカマに掛けてからかうのを、百回くらいは聞きましたよ(笑)」
宇野「ただ、あれは偶然のマジックで、キャッチ―なことだよ」
木津「当時は『しょうもない』と思ったけど、そういう軽薄さが時代を切り開いたというのも今となっては分かります。そういう意味でも80年代は本当に不思議な時代でしたね」
宇野「80年代で今でも思い出すのは、『ロック・イン・ジャパン』というとロッキング・オン社が行っているイベントを思い浮かべるだろうけど、最初『あれ、著作権は大丈夫?』って思った。1985年だったかな、『ロック・イン・ジャパン・フェス』が横浜スタジアムで開催されて俺も見に行ったよ。トリがカルチャー・クラブでトリ前がスタイル・カウンシル、その前がゴー・ウエストでさらにその前がアソシエイツ…スタイル・カウンシル以外は“ほぼほぼ”エレポップ勢だったんだよね。完全にイギリスのエレポップ祭りを、『ロック・イン・ジャパン』という名前のイベントで、しかも横浜スタジアムでね。普段は昔話なんてしないんだけど、ホント懐かしい。企業の協賛もたくさん付いてさ、そんなおおらかさを知ってるからこそ、『IT'S A SIN』の裏側におけるHIVの過酷な状況を見ることができて良かったと思う。
だって俺がいまだに一番好きなアーティストはフランク・オーシャンで、一番好きな監督はルカ・グァダニーノだし。きっとそういう感覚は80年代に培われたんだろうな。『俺はゲイじゃないからオーシャンやグァダニーノは好きじゃない』なんて思わないし。だって最高だから。逆に、彼らが素晴らしいのはゲイだからとも思わないけど。とにかく『IT'S A SIN』という作品でその背景を知るのは、自分にとって重要な時間でした」
80年代の移り変わりとエイズの本質を全5話で描ききった『IT'S A SIN』
木津「当初『IT'S A SIN』は全8話で描くつもりだったのが5話に収まり、ある程度コンパクトにまとまったのも良かったんじゃないでしょうか。エピソードごとに年代が変わり、80年代が進んでいって終わるという構成も見事でした。宇野さんはドラマの構成面で気になったことはありますか?」
宇野「主人公たちが『無邪気で楽しい』といえる状況は本当に最初だけだったよね。もう少しエピソードが長ければそこをもっと描けただろうから、彼らが無邪気で幸せな時代をもう少し見たかったな。10年間を5話で描くこと自体は、主人公が最初はHIVのことを陰謀論みたいに言っていたのがどんどん深刻になっていくという流れを見ると、焦点がより定まったのでHIVをテーマにする上では正解だったと思うよ」
木津「確かに。1話ごとに誰かが亡くなっていく構成になっているのも、HIVがそういうものだったということを巧みに表現していますね。リッチーが野心家でちょっと鼻持ちならないキャラクターだけど、他の時代に生まれていたらもっと人生は違っていたかもしれない。彼が80年代にゲイだったことでたどった人生が、10年間を通して見事に語られています」
宇野「実際に出演者のアイデンティティもキャラクターと一致してるんだよね。それによってどこまで商品としての現実性が担保されるかは分からないけど、このドラマを見て少なくともゲイに関してはこのやり方が主流になっていく気がしたな。そもそもヘテロの役者がゲイを演じるのもしんどくなっている部分があるし、そういう流れができつつあるんだろうね」
木津「その流れに関してはトランスジェンダーが特に大きいのですが、『IT'S A SIN』においてはゲイ・ヒストリーやゲイ・コミュニティを描くことが大きな要素なので、製作陣はこだわりたかったのでしょうね」
宇野「このドラマが日本でどれだけ見られるか分からないけど、イギリスではチャンネル4で過去最大級のヒットになったんだから、エルトンやフレディやジョージを愛してきたイギリスはすごいと思うよ」
木津「それもあるでしょうね。もう1つ思ったのは、放送時期が奇しくも新型コロナのパンデミックと重なったこと。もちろんHIVとコロナウイルスは分けて語らないといけないけど、前半部でみんなが陰謀論に振り回されてしまい、怖がる人もいればそうでない人もいるという感じは、今だからこそより生々しく伝わってきますね」
宇野「製作のスタート時点では新型コロナのことは考えてなかっただろうから、まさに奇しくもだね。俺は早い段階でワクチンを2回打ったけど、身近なところで『怖くて打てない』とか『打ちたくても打てない人がいるから、俺は打ったことを言わない』という声を聞くし、また俺と木津君ではコロナに関して信じているものが違う世界線で生きてるかもしれないし、他人事じゃないよね」
木津「フランスのエイズ・クライシスと当時のアクティビズム(積極行動主義)を描いた『BPM ビート・パー・ミニット』という映画がありますが、『IT'S A SIN』と共通して感じるのは、感染症が政治の問題でもあること。海外のドラマや映画を見ていると、エイズの話になると必ず政治的な話が入ってきます。そのあたりの胆力はイギリスやアメリカならではですね。ただ、このドラマの主人公リッチーは、自己中心的であり保守的なところがチャーミングでもありますよね」
宇野「最初の方では陰謀論を振りまいているヤツだったけどね」
木津「そんな彼がコミュニティの仲間たちに刺激され、アクティビズムに参加するという流れにはグッときました」
木津「たまたまクィア・コミュニティにいた女性ジルのように、早い段階で意識的になってどんどん学んでいく人がいる一方、『別に』と思っていたリッチーも幸か不幸か目覚めざるを得なくなったというのは大事なこと。このドラマのメッセージ性にもなっていると思います」
宇野「しかし、20代前半くらいの仲間って、はかないよね。当時の友達で今も付き合っている人はほとんど誰もいない…この世からなくならなくても、はかないよね。このドラマを見ていて思い出しちゃったよ」
木津「その辺りは王道の青春劇として撮っているなって思いますね」
親世代の目線で『IT'S A SIN』を見ることで浮かび上がるエイズの辛さ
木津「宇野さんは青春劇やティーンムービーに対して、親の描き方に注目しますよね。このドラマでも象徴的に親が何人か登場しますするけど、彼らの描き方についてどう感じました?」
宇野「俺がなぜ親の描き方を気にするかというと自分が親だから。このドラマにはいろんな親が出てくるけど、今の価値観でお年寄りや過去のことを責めるのは嫌いだな。これは人種差別にも言えることだけど。ただ、このドラマのように偏見のある親が悪役ポジションで出てくるのは、作劇上は実際に仕方ないと思うよ」
木津「子供を心配するがゆえのことでもあるし、育ってきた時代の価値観が違うということもあるし。このドラマではそうした世代間の違いや親子の問題の複雑さを、そのままちゃんと描いていますね」
宇野「そうだね、リアルだと思うよ。それは時代であり生活環境であり、やっぱり一番は無知によるもの。世界を代表する20代の人気ラッパーで今を生きているダベイビーは問題だけど、偏見を持っている人に対して何でもかんでも責めるということには、どんなイシューであっても俺は与したくないね。それよりも、変えていくことを考えた方がいいと思う。自分も変わらなきゃいけないところがあるかもしれないけど。そうした変化について“アップデート”という表現があるけど、人間は簡単にアップデートなんてできなくて、日々ちょっとずつ変わっていくことしかできない。どんな問題についても、日々何を見て何を感じ、何を読むかでしか変われないと思うから、俺はアップデートとか言ってるヤツのことは信用しないよ。それは中身を変えてなくて上っ面だけ変えたってことだから」
木津「HIV/エイズが特殊だったのは、セックスにアクティブな若者がかかって死ぬこと。親にとってはそこで自分の子供が同性愛者だったことを初めて知る人もたくさんいて、なおかつ死んでいくことに直面せざるを得ないというのが、エイズの過酷なところですね。そのあたりはこのドラマを見ていても辛いものがありますが、ラッセル・T・デイヴィスが50代後半になったからこそ、より深みを持って描ける部分でもあると思います。若者たちの群像劇でありながら、それより前の世代に対する想像力もしっかり描けている作品です」
宇野「全然綺麗事にしてないし、必要以上に現代へつなげていない。あくまでもこの時代の話として描いているのは潔いと思った。こうした社会性や政治性のある作品って、けっこう現代につなぎたくなるもの。そうしないところに、当事者ならではの誠実さを感じたよ」
宇野「最後に言いたいことを文字に出したりニュース映像を出したりとかもしないし、そこにこの作品の品の良さを感じたな」
木津「確かに、HIVの細かい話が出てくるけど、過剰に説明せずディテールに織り込んで作劇をしていました。脚本がしっかりしたドラマということですね」
『IT'S A SIN』と英国音楽シーンに共通する、80年代と90年代の断絶
木津「宇野さんはロンドンによく行っていた時期があると聞きましたが、いつ頃ですか?」
宇野「最初に行ったのは1989年か90年。20代から30代にかけては年に1回は行ってて、21世紀に入る瞬間はプライマル・スクリームやプロディジーが出たミレニアムのパーティで遊んだりしてた。サッカーの試合もよく見に行ったし」
木津「そういう街の雰囲気をこのドラマで思い出しました? 実は撮影の多くはリヴァプールで行われていますが」
宇野「そういえば、なんか北部ぽいなと思ったよ。あと、このドラマには繁華街があまり出てこないよね。いろんな理由があるんだろうけど、ロンドンのランドマークがあまり出てこないのは、ジェントリフィケーション(都市の富裕化現象)が進んでいて古い街並みがないからというのも大きいんじゃないかな。街並みを作るのは大変だし、当時の雰囲気なんて出せない。だったらどこで撮ってもいいだろうということだと思うよ。それにロンドンは物価が高くてお金がかかるし、人件費も含めて北部の方が作りやすかったんだろうね」
宇野「ロンドンは変わったよ。21世紀に入って、規制緩和でロシアと中東のお金がじゃぶじゃぶ流れ込んできた時点で街の中心部は違う街になっていった。そこがイギリスのしたたかなところでもあるのかな」
木津「イギリス人にとってはそういう昔の街へのノスタルジーもあるんでしょうか」
宇野「それもあるかもしれない。今のロンドンは金持ちの集まる街でしかないからね。車だってものすごいお金を払わないとロンドンに入れないし、市内の中心地にいる人はベントレーやポルシェに乗っている金融マンかアラブ人かロシア人(笑)。そう思うと、90年代の頭とかは良かったなと思うよ。一人でクラブに行ったり」
宇野「ポール・オーケンフォールドとかがDJをしていて、ガンガン一人で行ったよ」
宇野「いい時代だし、俺も元気だったな(笑)。もう一人じゃ行かないよ」
木津「僕は時代感覚についてピンと来ないところがあったので、いいお話を聞けました」
宇野「ちょっと音楽の話をすると、マッドチェスターはすごかったなと思う。あれほどゲイのアーティストが中心にいた風景が、1989~90年にガラッと変わったから。もちろんゲイ・ミュージックでありディスコ・ミュージックでもあるニュー・オーダーとかがルーツにあるんだけど、ハッピー・マンデーズやインスパイラル・カーペッツやザ・ストーン・ローゼズが出てきた時点で相当風景が変わった。そしてゲイ・ミュージックとしてはアシッド・ハウスに吸収され、ヤズーとか一部ハウス化していった。ハウスとバンド・ミュージックでけっこう風景が変わったよ」
宇野「その後のブリットポップで以前の雰囲気もちょっとは戻るけど、やっぱり男性的だよね」
木津「そうですね。オアシスが負っていたものも大きいし」
宇野「改めて80年代と90年代の断絶を感じるね。いろんな理由があるんだろうけど、『IT'S A SIN』のストーリーが91年で終わるのもよく分かるよ」
木津「ディケードで区切られているのも、ストーリーテリングとしてはうまいですね」
木津「このドラマについて僕はわりと早い段階で、クィア・コミュニティを描いた作品ということで反応しましたが、『HIVものか、関係ないな』『80年代は興味ない』と思う人が日本だと少なくないと思うんですよ。そんな中で、宇野さんならどんな人に見てほしいと思いますか?」
宇野「今っぽい話をするなら、ダベイビーの発言がいかに間違っているか、『IT'S A SIN』を見れば分かるということかな(笑)」
宇野「あと個人的には、“あの頃話”をしたくない自分がどうしても語りたくなるぐらい、80年代当時のイギリスがリアルに描かれていて、自分の好きだったものがこういう土壌から生まれたんだなと改めて確認する、いい機会になったよ。このドラマで流れているソフト・セルとか、みんな使うでしょ。こういう音楽がどんな土壌から来ているかがよく分かるんじゃないかな」
木津「今やいろんな映画やドラマでセクシャル・マイノリティのキャラクターが当たり前のように出るようになりましたが、その前にどんな時代があったのか、どんなディテールがあったのか、説教臭くなく伝えることができているなと思います」
宇野「『こうして亡くなっていった人がたくさんいる』というその上に、今のカルチャーがあることは改めて考える必要があるね」
木津「青春劇としての普遍性やポップさはありつつ、あの時代の特殊さも両立して巧みに描いている作品ですね」
宇野「それから、場所がニューヨークとロンドンで違うけど、フランク・オーシャンの『PrEP+』における一連の動きがどれだけ切実なのか気づかされるよ」
木津「ぜひたくさんの方にご覧いただきたいと思います。今日は楽しい話をありがとうございました」
宇野「こちらこそありがとう。どれだけ使われるかな(笑)」
『IT'S A SIN 哀しみの天使たち』
原題:IT'S A SIN
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(c) RED Production Company & all3media international
(2021年8月)